2025/05/10(土) 23:06:12 WpTVsPKalS [iPhone]
今日料理した後包丁洗って布巾で磨いてたんだよ。俺が使ってる包丁はステン系のクロモリ鋼の牛刀なんだが、炭素含有量が若干多いのか結構錆びる。だから料理したらまず包丁だけすぐに洗って布巾で水気をきれいに拭き取って、その上でしばらく乾燥させて包丁スタンドに仕舞うんだよ。水気をさっと拭き取るというより磨くように拭き上げるんだが、包丁の口金の辺りを人差し指と親指でゴシゴシやってたら包丁の首筋をマッサージしてやってる様な気分にふとなったんだ。そこで思ったわけ。「もしコイツに魂が宿っていたら、さぞ嬉しかろう」ってな。ここで思い出したのが忘れ去られた神々の話なんだが、ニール・ゲイマンの著書の中では(小説です)神々というのは信仰する人が少なくなると徐々に力を失い、やがて完全に忘れ去られるとその存在自体が消えてしまうんだ。この考え方によると魂というのはそのモノ自体に宿ると言うよりは、それを信じる人の心に宿るものだと思う。例えば多民族が崇拝する仏像を破壊するって行為は稀に起こる。この時に「罰当たり」とか非難されて実際に天罰としか思えない事が起こったりするだろ。でも魂というのは信仰する人に宿るものであって仏像を破壊した民族がその仏像に帰依していないのであれば、バチなんか当たらない、と思うやん?でもそれら仏像を信仰する民族の心には霊が宿っているわけだよな?だから仏像を破壊された側の怒りが魂に火を付ける。つまり